トップページ地区 >見沼田圃斜面林周辺

【周辺の見所】
●用水路沿いの斜面林の桜
●鷲神社

【所在地】
●さいたま市緑区南部領辻

【交通】
●JR浦和駅東口から
 「さいたま東事業所」(バイパス
 経由)行きバス「総持院」下車
 約200m(徒歩約3分)

●JR東浦和駅から
 「さいたま東営業所」(芝原・宮本
 経由)行きバス「総持院」下車
 約200m(徒歩約3分)

道路地図


【周辺ガイド】

  • 見沼田圃・・・
    都心から20~30キロ圏内に1250ヘクタールを超える農地が広がります。

  • 見沼代用水沿いの桜並木
    春になると用水沿いにソメイヨシノザクラが咲きます。

  • 総持院・・・
    春にはボタンの花が鑑賞できます。
      
  • 見沼代用水路・・・
    八代将軍・徳川吉宗の命により、享保12年(1727)8月から翌年2月という短い工期で井沢弥惣兵衛為永が代用水路を作りました。この工事により、見沼溜井のあとにおよそ1200ヘクタールの新田、見沼田圃が広がりました。

  • 見沼通船堀・・・
    パナマ運河の約180年前に作られたわが国最古の閘門式運河(享保16年(1731)に開通)。通船堀は代用水周辺の村々と江戸の流通を支えました。昭和57年(1982)に国指定史跡に指定。

  • 鷲神社・・・
    さいたま市の無形文化財に指定された「南部領辻の獅子舞」が年に2回奉納されます。5月15日、10月15日に近い日曜日

    「南部領辻の獅子」は別名「竜頭(りゅうず)の舞」とも言われている。
     
    言い伝えによると、今から九百年位前、武将で笛の名手である新羅三郎義光(源義光)が、兄の八幡太郎義家(源義家)を助けるため奥州に下向した際、軍兵の士気を鼓舞するためおこなわれ、これを鷲神社に奉納したものを、土地の者が習い覚えて、今日に伝わったとされている。
     
    獅子舞の一行は、戈を持つ天狗(猿田彦)を先頭に、弓持ち、御弊(お守り)を持つ世話人と続き、花笠を付けた笛方の二人とささらを受け持つ二人、その後ろに太夫獅子、女獅子、中獅子の三頭の獅子の一団で、計十人で成り立っている。

    鷲神社の拝殿前の庭で、四隅に竹を立てた二間四方の注連縄を張った中で、舞いは行われる。女獅子、中獅子、太夫獅子の順に舞うが、それは「竜頭の舞」の名のとおり、竜が天を舞うように、また地を這うように、華麗で激しく勇壮な舞である。

        南部領辻の獅子舞保存会・さいたま市教育委員会資料より転載
  • 国昌寺・・・
    市指定有形文化財(建造物) 昭和52年 3月30日指定 國昌寺門 
     
    見沼の谷を見下ろす台地に立つ曹洞宗の寺。時の天皇に書を指南したほどの能書家・大雲文龍が開いたもので、文龍の書や墓が残されています。山門(市指定有形文化財)は「開かずの門」として有名。江戸中期に建立され、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉という伝説があり、門は閉じられ「開かずの門」になったと伝えられています。また他にも、門の欄間の龍は左甚五郎※作と伝えられ、見沼に棲んでいた龍が作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘づけにして門におさめたという伝説もあります。境内には、市指定の天然記念物であるセンダンバノボダイジュがあり、悠久の時の流れを伝えます。
    ※左甚五郎・・・江戸初期の彫刻の名匠。日光東照宮の眠猫で有名。左甚五郎作の伝説がある彫刻は、日本全国に多数存在する。幻の大工といわれる。見沼の竜が村人を困らせたので左甚五郎に頼んで竜の彫刻を彫って門にかけると、しずまったという話が語り継がれています。



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