トップページ自然ウオッチング>雪の見沼田んぼ

        
雪の見沼田んぼ

 さいたま市の見沼の近くに住むようになって、驚いたことがあります。隣の植木業を営んでいるご主人が「これから、田んぼに行ってくる」というのです。どこに田んぼがあるか尋ねたら、この辺の人たちは皆、下の畑に行くにも田んぼというのだと教えてくれました。通称「見沼田んぼ」は2001年の調査では約1200haのうち、33.5%が畑で、田んぼは7.7%しかありません。”田んぼ”と呼ぶにはそれなりの愛着や思いがあるのかもしれません。

 2006年2月6日夜半に雪が降りました。次の日、「見沼田んぼ」に出掛けてみると、見慣れた風景は別世界に変わっていました。荒地の上も白くなり雪はすべてを覆いつくし昔はこんなふうに田が広がっていたと想像しました。寒さに震えながら、カメラのシャッターを押していて、ふっとこの地を田に変えた江戸時代の人々のことが頭をよぎりました。見沼田んぼが完成したのは寒い2月だったのです。八代将軍徳川吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永が、享保12年(1727)8月から翌13年(1728)2月に工事を行いました。延べ90万人が工事に携わり、1200町歩の新田が誕生したのです。わずか半年で完成した田に水が入るとき、農民は歓声を上げたのではないでしょうか。そして、時代が変わり、1970年代になると、またもや国策として「畑作転換事業」が始まり、多くの田は畑に変えられていきました。田から水を出す「ごうごうという音が今も耳に残っていて、胸の奥がなんとも寂しかった」と隣の方は話してくれました。

 見沼田んぼの地権者は4000人に及びます。喜びの水音を聞いた子孫も、寂しさの水音を聞いた人々も多くいるはずです。「見沼田んぼ」は人々の”思い”が集まった自然なのです。他の家の庭を見せてもらうような気持ちで見沼を訪れることは大切なことだと思います。

 これから、見沼はどう変化していくのでしょうか。東京都心から20~30kmの場所にある「見沼田んぼ」の農業、植木業、自然が保たれることは、次世代への贈り物の一つになるように思います。田や畑や樹林地が年々減少していく現在、ありふれた自然を意識して残すという叡智も必要な時代になってきたように思います。
(文・写真 加倉井範子)
トラスト1号地
見沼代用水東縁から
雪は見慣れた風景を別世界に変える
昔はなかったメタセコイヤの木々のシルエット

参考:「浦和市史 通史編Ⅱ」浦和市総務部市史編さん室編 浦和市
   「見沼その歴史と文化」浦和市立郷土博物館編
   「環境保護の市民政治学Ⅱ」村上明夫著 幹書房
   「新見沼見て歩き」村上明夫著 幹書房